2007年5月6日日曜日

残照と待月の天地

 
 
    暗きより暗き道にぞ入りぬべき
        はるかに照らせ山の端の月
         (和泉式部 拾遺集)










遠雷や夢の中まで恋をして

残照の中に脱ぐもの透きとほる
                                         (黛まどか)
  






     はるかに照らせ山の端の月






  山の端にわれも入りなむ月も入れ
  夜な夜なごとにまた朋とせむ 
           (明恵)


 かの銀河いちまいの葉をふらしけり
         (富澤赤黄男)



「あの花びらは天の山羊の乳よりしめやかです・・・」
     (宮澤賢治『マグノリアの木』)



 月盈ちてみどり児 珠のようないのち

 苦しみは いのちの初夜の繭となる
 





  想い月にありて
         李賀

  雲がたなびいていて、今宵の月は
  老いた兎と寒さに震える蝦蟇の
  悲しみ色をしておりました。

  でも急に雲の楼閣が

        半分だけ扉を開け放ちますと
  月からの斜光のすじが
         壁を白く輝かせてきました。

  すると月の光は
  まるで車輪のように軋んで
  丸い露を弾きはじめ、
  辺りを潤おわせながら
  進んでくるではありませんか。
  そして、そしていつのまにか
   桂花香る月の小路で鵬に騎乗する
  美しい天女と出会いました。

  この月、神が住まいたもう秀麗な
  三つの山の麓には
  黄色い砂塵舞う大陸がひろがり、
  清らかな水を湛える大海が
  ひろがっています。
  とても悠大で綺麗です。
  時の流れも走馬燈。
  一瞬がいわば永遠。
  人間世界での千年の変化も、
  この月の世界では
  一瞬の出来事にすぎません。

  そんな月面に立って
  はるか遠くの地球をながめますと
  大陸は小さな九つの雲煙に
  すぎませんし、
  大海原もコップに注がれた
  一杯の蒼い水のようなもの。
  遊びましょう。
  謡って踊って愛して笑って
  おおいに愉しみましょう。




 残照はまた、式部への
 性空上人の返しの歌をも
 思い起こさせます。

  日は入りて月まだ出ぬたそがれに
  掲げて照らす法の灯

 

2007年5月5日土曜日

蓮の露

 

  きみにかくあいみることのうれしさも
  まださめやらぬ、夢かとぞおもう
         (貞心尼『蓮の露』)




 
































 さめぬれば闇も光もなかりけり
 夢路をてらすありあけの月
           (貞心尼)






 蓮の華は、地上に根を降ろせない

 永劫の種子を懐胎したまま
 朽ち果てます。






  白露の時駆ける少女と契りしは
  滅びをしらぬとこしなえの道(TAO)






白露は銀河の夜を身ごもりて
珠の手箱となりにけり




  
  




  

櫻の園

  



































































































































街に野に現れて狂(たぶ)れしが
 葉桜となり木陰に隠る
     (富小路禎子)